リプレイ記事の大変さは身にしみてわかりました、じゃむにぃです。
面白さを素直に伝えるのってなかなか難しいですよね。
ウィキペディアのように説明ばかりになってしまったらつまらなくなってしまうし、
ざっくり書きすぎるとルール上大事な部分端折ってしまってうまく伝わらなかったり・・・。
ネットサーフィンしてて気付けば大体この人の記事ばっか見てるなーとか気づきました。
ざっくりし過ぎてそのゲームのルール全然わかんないまま読み進め実際買って見たら別ゲーだったなんてことにもなり兼ねませんよね。
自分もデジタルゲームやソシャゲは以前はオタクな方でやりだすと熱中してました。
社会人になり時間がどんどん削られいつしか家庭用据え置きゲーム機に触らなくなり、
気付けばポータブルゲーム機にも触らなくなりました。
スマホが出た当初はパズドラばかりやってました。
家庭用ゲーム機からスマホにいつしかシェアが奪われ、仕事の空き時間、移動時間、隙間時間はほぼスマホをいじる生活。
家庭用ゲーム機をやってた時の疲労感は減ったはずなのに今度はスマホをその分いじるのにスライドしただけでした。
新しいアプリが出たらダウンロードしてみての繰り返し。
スタミナという時間の概念の導入によって生活リズムにうまく入り込んできたソシャゲ。
さらにはガチャ要素の影響から懐にも入り込んできたソシャゲ。
今ではリセマラなんてのも当たり前になった現代。
20代後半から仕事の幅を広げるために始めた組合活動。
初めてあった若い子や同世代、目上の先輩なんかと共通のアプリの話題で仲良くなる機会は確かにまあまあありました。
やることが増え、時間も削られやりたいのにやれない時間が増えていくとイベントについていけない感が自分の精神を支配します。
これが単純にすごーく精神衛生上よろしくない(笑)
ストレス発散でやってるのにストレス溜まるっていう悪循環。
いつしかソシャゲへの熱は下がりたまにきたイベントだけちょっとやるか!なライト勢に。
絶対面白いってわかるアプリなんかも今ではハマってしまうからって理由でやらないようにしています。
そんな時に出会ったボドゲ。
組合活動で知り合った後輩と我が家に泊まって飲む機会があり、その時連れてきたボドゲ先輩(年下)が持ってきたのがチケットトゥライドとゴキブリポーカーでした。
初めて見る日本には無いようなブラフゲームのゴキブリポーカーを居酒屋でやり、外国ではこんなボードゲームが年間すごい数出ているということを知る。
まだボードゲームといえばみんな同じみ人生ゲームや桃鉄、ドカポンくらいのレベルの自分はその時ブラフゲームの楽しさには気付けませんでしたが現在はブラフゲーム楽しいいいいいいいいい!!ってなってます。
思えば遊戯王だったり、ファイナルファンタジー7のミニゲームだったり8のカードゲームだったり9のカードバトルだったり細かいのによくハマってました。
他にも姉貴が借りてきたネクストキングやカルドセプトなんかのデジタルのボードゲームなんかにはすんげーハマってた気がする。
ジャスティス学園のキャラ作成、パワプロのキャラメイクなんかも永遠にやれてました(笑)
その時からもう既にボードゲーム好きだったんでしょう。
先輩が出したチケットトゥライドをプレイしようものなら脳汁出まくりです。
日本では見ないような雰囲気のある盤面。
ちっさいたくさんの鉄道コマをどういうルートに置いて目標を達成するのか。
手札を貯めてる間に奪われる路線。
ルート変更を余儀なくされ達成できなくなった行き先チケット。
バチバチの対戦要素はないにしても自分にとっては初めての体験。
こんなボードゲームがまだ他にもたくさんあるのか!?
今まで知らなかったことで人生損してきたんじゃないのか?
もう自分のマインドはボードゲーム一色です。
その日の夜にはボードゲームを検索して
「何買おうかな?」
「誰か一緒にやってくれるかな?」
「盛り上がりまくっちゃったらどうしよう。」
などワクワクの嵐。
たくさんある中から初めて買ったのはカナイセイジさんのラブレターでした。
これもまだボドゲレベルの低い自分がゲームマスターを務めたところで盛り上がるわけもなく。
ラブレターは良いゲームです!
今ではサクッとやるか!って時にとりあえずラブレターって感じで使わせてもらってます。
今の自分ならそんなことはないんでしょうけどまだ知りたての時なんかやりたい!が先行しすぎて説明も雑だし周りへの配慮も足りません。
ゲームの盛り上がるポイントだったり駆け引き要素もわからないまま「ふーん」で終わる感じになってしまいました。
その次に買ったのは定番のカタン。
これはダイスの運要素もあり付き合ってくれた仲間も初めてながら楽しんでくれました。
今では我が家のヘビロテゲームの一角を担っています。
その後も物欲は止まらずアレを買いコレを買いで消化できないゲームの山に・・・。
ボドゲーマーさん達なら共感していただけると思います。
その辺のことはまたおいおい記事に書いていくつもりです。
ただなんでここまでボードゲームにハマったんだろうと考える時があります。
ソシャゲなんかのアプリゲーだったり家庭用ゲーム機の対戦ゲーム、トレーディングカードゲームもそうなんですが、
「やり込んだ時間」=スタートライン
なんですよね。
「やり込んだ時間」が「つぎ込んだお金」
ともなります。
シャドバなんかもその当時スタートしてましたがカード持ってなきゃデッキ組めないじゃないですか。
モンストで言えば適正運極作っているかだったり強ガチャキャラ持っているかですよね?
家庭用ゲーム機で言えばコールオブデューティーなんかもやってましたがプレイヤースキルをあげる時間を費やせば費やすほど初心者相手と対峙した時無双できますよね?
格闘ゲームもそう。
無双って気持ちいいですよね。
戦国無双好きです(笑)
確かにスマホゲーが普及したことによってやってる人も増えましたし共通のアプリをやってる人にも簡単に会えるようになりました。
でもいざ「勝負しようぜ!」なんてなろうものなら札束で殴り合うか砂時計のデカイ方が無双してやられた方はしょんぼりして終わるってのが恒例じゃないでしょうか?
自分はこれが嫌いなんですよね。
若い頃ダーツにハマったことがあるんですがダーツにはレーティングってあるんですよ。もちろんダーツ以外にもレーティングあるのはたくさんあります。
上級者と初心者でも戦えるようにランクごとにハンデが決まっていて毎回いい勝負になります。
初心者でも勝つ可能性が十分にあるって初めてやる人からすればめっちゃ楽しくないですか?
自分が初心者側の時を考えるとわかりませんか?
相手は絶対このゲームやり込んでる。絶対ボコボコにされるってわかってるゲームってやる気なくしませんか?
ボードゲームってこれがすごく少ないんですよ。
熟練者も初心者もよーいどん!で横並びでスタートできるんです。
もちろんやり込んだことによって得た知識を持っている方が有利なアブストラクトゲームなんかもありますがスタートラインが横並びってのが一番重要だと考えます。
デジタルゲームでのオンライン対戦も当たり前になった昨今、
対戦相手がいるってことのありがたみを忘れてる人がものすごく多い。
一緒にやってくれるのが当たり前。
付き合ってくれるのが当たり前。
だから対戦してくれた相手に対してオンライン対戦では暴言なんかも日常茶飯事。
嫌な思いもよくしました。
言葉のキャッチボールも同じでなんでも返してくれるのが当たり前、
返事するのが、付き合ってくれるのが当たり前って人と話していると相手を見下してるなーって感じます。
ボードゲームやるってなると一緒にプレイしてくれる人が目の前にいる。
だから下手なことはできません。
我慢を覚えます。
だってそうじゃないですか?
ボードゲームって一緒にやってくれる人がいないとプレイすらできないことがほとんど。
だから一緒にプレイしてもらった相手には楽しんでもらいたい。
じゃなきゃ次はもう一緒にボードゲームを遊んでもらえなくなるかもしれないから。
もちろんソロプレイができるゲームもあります。
でもそのゲームを一緒に共有して体験するって相手がいないとできないんですよ。
一緒に遊んだ、共有した相手と仲がさらに良くなるのか、悪くなるのか。
これはもう自分次第ですね。
だから自分はみんなに楽しんでもらうっていうことを選択します。
勝ち負けはその次の段階。
相手が同じ段階まで上がってきて初めて真剣に追求できる楽しさだと思ってます。
だからボードゲームを好きになったことによって自分はだいぶ変わりました。
勉強もするようになりました。
人生変わりましたって言ってもいいくらい変わりました。
おかげで母や姉、友達や仕事仲間達ともいいボドゲ関係が築けていると思います。
今日ボドゲやらない?ってなった日は早く帰りたくて仕方ありません。
一緒に遊んでくれている仲間もそう思ってくれているとい嬉しいです。
長くなりましたが自分がボードゲームと出会った流れでした。
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